« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

2009年1月31日 (土)

錯乱坊雑感 31-Jan 09

都会の交通網は、ほんの少しの降雪でも、なんだそれくらいのことでと豪雪地域に住む方々の顰蹙を買うような話ながら、東京の生活は脆弱な一面がある。
滅多に雪が降らないとはいえ、珍しく一度の降雪もまだない。道理で紅梅よりも遅い白梅がほころびはじめた。一月もまばたきする間に終わり、一応のくくりでいえば十二分の一が過ぎた。
東京の今季は大寒の前後こそ最高温度が一桁の気温にて、暦どおりに寒かったが、風が吹かないせいなのか、頬を刺すほどの寒さは少なかった。なお寒さはしばらくつづくという予報もある。
東京にまとまった積雪があるとしても例年なら二月の中旬以後三月の初旬までのことだが、今年は記録されただけのチラチラが一度だけ。
寒のうちだが、明日はもう二月で節分も近く、その翌日は立春。暦の上では春になる。とはいえ、二十四節気の啓蟄が過ぎるまでは実感が出てこない。
個人的な感覚でいえば、例年オーガスタカントリークラブで行われるマスターズトーナメントが終ったら、間違いなく春になったことを実感する。今年はなにより石川遼選手が話題になる。
それにしても、ヨーロッパは何年ぶりかの寒波で被害が出たとか、反対に南半球のオーストラリアでは記録的熱波とのこと。まだらな寒気のいたずらで一時的なことというが、季節とおりに寒かったりすると、大騒ぎをしている温暖化の心配もいくらか薄れてしまう。
専門家が指摘するまでもなく、二酸化炭素(CO2)の具体的削減策が確立されていないのだから、間違いなく今後も温暖化は懸念のタネになる。
大国なのに無関心だったブッシュさんに代わり、早々にオバマ大統領は環境問題に本腰を入れると宣言しているので、成果を期待したい。
A

2009年1月30日 (金)

錯乱坊雑感 30-Jan 09

やはり温暖な冬のようだが、ここのところ東京はいンフルエンザが蔓延して、注意報が警報に替わった。
<一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ>
徳川家康の忠臣で越前丸岡城ゆかりの武将、本多重次が陣中から妻に送った手紙の文面だが、後世まで残るとは思ってはいなかったと推測。
この手紙にちなんで1993年に創設されたのが日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」。
主催した福井県の丸岡町が全国に知られるようになった結果にもなり、町興しとしても成功した。この街は母の実家があったということから馴染みもあり、特別の関心をもって注目していた。
新鮮さを保つためにと、今は「新一筆啓上賞」になり、先日、最新の入賞作の発表があった。
テーマは「夢」。岩手県の六十四歳の男性による亡き妻あての手紙には
<時々お前の夢を見る。子供たちにも出てやってくれ>というもの。妻子への深い慈愛を感じる。
短い手紙だけに、自分が何を伝えたいのか何度もこころに問い返し、文もよく練っての応募だろうと推察する。
短くても行間を読ませるような達意の文章というものがあることを教えられた。Photo

2009年1月29日 (木)

錯乱坊雑感 29-Jan 09

気障な響きもあることながら、若い頃は遊び人と後ろ指を差されるような生活をしていた。飽きもせず夜には頻繁に繁華街を徘徊していた。今にして思えば、よくもまあカネも体力も続いたものだと呆れる。
いつもの流れで銀座、赤坂、六本木へはよく通ったものだが、30何年も行かなくなった。正確に言えば、行っても楽しめない身体になり、必然的に近寄らないようにした。テレビの画面で街並みを見たり友人の話を聞いたりすると、無性に懐かしい。
何日か前に、新聞の特集欄に赤坂近くの山王神社のことが出ていた。そのあたりは小高い丘になっている。昔は、星を愛でる場所として「星が岡」と呼ばれていたのだとでていた。銀座も六本木も大きく変わってしまったが、溜池山王のあたりは、写真で見る限り未だ雰囲気を残している。
30年も経過すれば何もかも変わるのが当然ながら、高級店が立ち並ぶところが銀座だと相場が決まっていたのに、その銀座にも「食べ放題の店」や「回転寿司の店」ができたと聞いた。
相変わらずの高級店も主流を占めているとはいうものの、テナント料の日本一高い場所で薄利多売の食べ物屋が成立することに驚きを感じる。
このところの不況は、商売のやり方も姿を変えそうだ。見得や外聞格式を捨てて、従来とは違う活路を求めて更に変貌しそうな気がしないではない。Photo

2009年1月28日 (水)

錯乱坊雑感 28-Jan 09

一月の最終週。来週の火曜日は節分で翌日は立春だから、なんと日々が過ぎるのは早いのかと空を仰ぐ。
さんざん言われていることながら、近年の暖冬は不安がよぎるほどの気候。寒さを逆手に考案された札幌雪祭りも雪集めに苦労するほどにて、年々規模を縮小していると聞いた。だが、内陸部の場所によっては平年並みの寒さと積雪とか。
豪雪地域でも、屋根の雪下ろしを心配しなくてよい傾向だという。
自然現象に不満を述べても始まらないが、この機会に温暖化予防の知恵を絞るべきなのに、具体的行動計画は希薄。
無責任な流言飛語は厳に慎しみ因果関係が不明なことは軽弾みに言えないけれど、昔は起きなかった異常気象はあきらかに、自然からの警告だ。
ブッシュ政権との違いを示す一歩として、オバマ大統領は、早速に環境問題への政策転換をするとか。新たな雇用創出の一面もあるらしいが、最大の排気ガス排出国の具体的対策は歓迎される。
関東圏内北部の積雪情報は、昨年がそこそこの降雪だったから少なさが際立ってみえる。定期的に天候の揺り返しはあれど、後世のためにも放置出来ない問題ゆえ、実現できそうもないキャッチフレーズよりも、常に脳裏に浮かぶほどのメッセージが必要ではないか。
だから、信任された本格政権ではないから何もかも日本の政治はダメだと、そういう声が聞こえてきそうな気もする。
Photo

2009年1月27日 (火)

錯乱坊雑感 27-Jan 09

古来、あるいは永遠のテーマかも知れないが、人のこころは善か悪かということに即答するのは難しい。
かりに、よちよち歩きの幼児が川に転落しそうになっているのを見かけたとき、人はどうするのか。大方の人は、誰しもとっさに助けようとする。幼児の親と知り合いになろうとか、誰かに褒めてもらおうとか、助けないと非難されることを恐れての行動ではない。孟子はかくして、人の本性は善であると説いた。それが性善説である。
これに対して荀子は、人の本性は悪なり、善と唱えるのは偽りなりと、性悪説を説いた。「偽り」とは「人為」、人の努力の結果という意味だとか。
どこから見ても極悪非道の悪人なんて、いるには居るがそう多くは無い。人をどの角度から見るかで違うところもあるが、普通に見える人でも悪いことをする人はごろごろいる。
人の本性が善と思いたいが、昨今のできごとを思い起こすと、残念ながら性悪説を思い浮かべることがある。Photo

2009年1月26日 (月)

錯乱坊雑感 26-Jan 09

ときにこの日記に昔のことを思いだしたかのように、もろもろの出来事を書き綴ったりすると、いかにもポンコツ寸前のセコハンになったことをため息混じりに自覚する。
「歌は世に連れ世は歌に連れ、人は過ぎ去りし日々のことが懐かしく、古いアルバムを開くような思いをなぞっていただきたい」という、司会者の言葉で幕が開き、懐かしのメロディ(縮めてナツメロ)を、私はNHKの紅白よりも楽しみにずっと視聴していた。
ときは流れて、司会だったコンロビアトップ(後に参院議員になり活躍)さんも故人になり、東京五輪の頃に出演されていた歌手の大半は黄泉の国へと旅立った。
浅間山荘事件というのは、テレビ中継されて全国の人が固唾を飲んで釘付けだった。そのころに、フォークソングの奔りとして『学生街の喫茶店』という歌がヒットした。
最近は滅多に耳にしなくなったが、その歌詞から映画のシーンに出てくるドラマを連想して、当時の世相や街の風景が想い出と重なる。
♪♪♪<君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ 学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン あの時の歌は聴こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた あの頃は愛だとは知らないで サヨナラもいわないで別れたよ 君と…

 君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ 窓の外 街路樹が美しい ドアを開け君が来る気がするよ あの時は道に枯葉が音もたてずに舞っていた 時は流れた あの頃は愛だとは知らないで サヨナラも言わないで別れたよ 君と君と…>
山上路夫さんの作詞だけれど、体形もすっかり変わってメタボの腹を眺めながら、ほんとうに本当に時は流れた。
2008_07_05_003

2009年1月25日 (日)

錯乱坊雑感 25-Jan 09

着ていたTシャツのプリントや文字が原因で、豪州の男性がカンタス航空に搭乗拒否されたということがあった。
外国へ行く都合は無い。飛行機にも乗らない。だから、個人的には、まあどうでもよいことだが…
他の客に迷惑をかけてもいないのに、服装だけで旅客機に乗れないのも奇異ではないかとの記事が目に止まった。
背中にブッシュ大統領の似顔絵と「世界一のテロリスト」の文字が添えられていたというのが発端。「言論の自由を守れ」と、同社を相手に損害賠償訴訟を起こすと言っていた。ブッシュさんの統治国でもないのに、そこまでするのかと驚きだが、米国に従順な点は日豪は同じ旗印のまま共同歩調で進んでいた。
人なり社会が嫌がることをわざわざやるのは、政治的意思表明になるのか。誰か日本航空でもやったらどうなるのかと、野次馬根性で思っていたが、もめることが嫌いな日本人はおとなしい。
折りしもこの度は、米国民ならずとも世の中の期待を一身に受けてオバマ大統領に政権が移った。
あらゆる点でChangeするというキャッチフレーズで登場したわけだから、次のステージは実行に移す番である。
難問山積にて簡単に解決できることは少ないが、ブッシュさんのやり方とは大きな違いがあるだろうと期待できそうな予感もあり、百年に一度というこの難局を克服して、歴史的転換点になればと願っている。Photo

2009年1月24日 (土)

錯乱坊雑感 24-Jan 09

富士山は甲斐でみるより駿河いい」というざれ歌がある。

下品になるので詳細はともかく、関東一円で見えるその姿は美しい。

どこから見ても同じようだが、写真を見ても絵でも、どの地点からの眺望なのかは微妙な違いで分かる。

今のこの季節の空気が冷えた朝は、見通しもよく遠くからも、白い擂り鉢を伏せたような姿は見る者に感動すら与える。

新幹線で東京に戻る時は、なるべく進行方向の左側の席に座り、富士山が見えるときはしばし見とれるとともに、その姿が消えると何故か安堵感が拡がる。

山梨に居たころは、駿河いいけど甲斐でみるとも言った。Photo

2009年1月23日 (金)

錯乱坊雑感  23-Jan 09

願っていればいつか叶うだろうとは思うが、車椅子での旅行にはいくつかの条件があり、それを充たすのは健常者が思うほど簡単ではなく、なかなか容易ではない。
何年か前に未だ開発されたばかりの「ほったらかしの湯」という、山の上の温泉へ知人が案内してくれた。
甲府盆地が一望の絶景だが、脱衣場の小さな小屋があるだけの、いわば野ざらしの温泉だった。たどり着くまでの道中は砂利道で、勝沼インター出口から3~40分の近さだが、当時は道標も不親切で分かりにくかった。近くにある石和温泉は温泉リハビリとしても知られており、その病院にリハビリのために二年半ほど入院していた関係で近辺の風景は懐かしく、温泉病院での昔の生活を思い出した。
最近はぼちぼち宣伝もされていて「ほったらかしの湯」も多くの人に知られるようになり、道路も総て舗装されたという。遠く御坂方面を眺めると、富士山の山頂あたりが茶碗を伏せたように見える。
行くのに時間もかからず、すぐに行けると思いつつなかなか行く機会もない。富士の山頂の雪が消える前に行って見たいと思うだけで、いまだ実現にはいたっていない。

Photo

錯乱坊雑感 23-Jan 09

*写真は、ガリンコ号による流氷ツアーの景色。
いかに頭脳明晰な人でも緊張している場面では、時としてトンチンカンな勘違いをするものだ。
入社面接のときに、稼業は何か?と質問されて「カキクケコ」と応えたという。
稼業をカ行と勘違いしたものと想像されるが、話の前後が不明のことにて作り話かと思ったが本当のことらしい。
生活の基盤を支えるなりわいのことを、「稼業」と云うとは知らなかったというのが真実だとか。
わざと聞き違えをしたように当意即妙の回答ならば、かなり頭の回転の早い人と褒められるだろうが、真に勘違いというエピソードだった。
わりに堅い番組の『カンブリア宮殿』という中で、優れた人材の入社のいきさつは勘違いの採用らしいが、その後の目覚しい活躍により現在の会社に発展したと、その時の試験官だった社長が語っていた。
人材発掘も企業の発展を左右する要因に違いない。それなりの功績があったからこそ取り上げられたエピソードの断面だが、ディフォルメや誇張があるとしても、若い人には素晴らしい可能性があるということを示している。

2009年1月22日 (木)

錯乱坊雑感 22-Jan 09

寒の内ながら、東京はさほどの厳しい寒さではないままに過ぎている。ふわふわと暮らしているせいかも知れないが、あれよあれよの間に、もう二十二日。時の過ぎ行くさまは、矢のように速い。
確固たる決意ではないが、一応の目標などを密かに思ってはいても、何一つ実行の準備さえできずに来た。それらのことを気にかけて日々を重ねていたら、何かを察してか先輩が「狂いのすすめ」という本をくれた。
心に隙があるなら宗教を学べというようなお節介な本かと、いくらか用心して読んだが、内容はまったく違っていた。
ひろさちやという宗教学者の著作だが、文字が小さいのだけは閉口したけれど、それでも文章は読みやすく、一気に読んだ。
哲学的内容なので難解な部分もある。だが概略は、人生は長いようで短いし、いつ死ぬかもわからないのに、四角四面に生きる必要もないという趣旨だった。
いくらか気楽になったのは、ひょっとして、現在の心境を先輩は見抜いていたのかと恐縮する。もらったからこそ読んだけれど、自分が本屋をのぞいて手にしたとしても、たぶん買わない本かも知れない。

2009年1月21日 (水)

錯乱坊雑感 21-Jan 09

★「真冬の積丹半島」F6号・アクリル画(自分の作品です)
たぶん歴史的一瞬に相違ないと、今朝未明のワシントンからのテレビ中継を見た。あらためて、黒人初という冠を付けて、第四十四代という若いオバマ大統領の誕生である。
零下7度という気温の下、250万人もの群集が歓喜の声をあげて就任を祝うという映像だったが、百年に一度というこの度の世界的金融危機の余波は簡単に解決するはずもなく、オバマさんがスローガンとしてきたChangeが期待通りにならなかったら、歓喜の反動が怖いような気もする。
今は情報手段も豊富だから、ちょっとした事柄でも伝わる速度は驚くほど早い。悪事千里を走るという格言があるけれど、良い話はテンポが遅いのも今に始まったことではなく、下衆の勘繰りは悪事には格別に耳を傾けるからであろう。
あれやこれやと、とにかく次から次と糾弾のタネには枚挙にいとまがない。よもやあの人がそんなことをと思う場合もあるが、昨日の国会中継で麻生首相へのテストが行われていた。初期の対応が悪いと致命傷になるケースもあり、マスメディアをはじめとした情報化社会の怖さを今更ながら切実に感じ取っているものと思う。
テストというのは、民主党の論客石井一代議士が麻生さんに出題した。
「就中」と書いて何と読むかとの質問。
唐突な質問にたじろぐ様子もあったが、質問の本意は、答弁書は役所に作成させそのままなぞっているから読めないのだと…
私も読めないので、すぐに広辞苑で調べた。「なかんずく」と読み、「とりわけて・特に」という意味だとか。そういえば、国会答弁の中の文言に出てきて聞いた記憶はある。
いくら麻生さんが漢字をよみ損なったからといって、政策以外の質問をされるなんていう光景は寂しい。
比較すべき事柄ではないけれど、米国の大統領と格段の取り扱われ方だと、つくづく思う。2008_05_01_005

2009年1月19日 (月)

錯乱坊雑感 19-Jan 09

人の興味というものは移ろい易いものながら、最近聞くところによれば、若者(独身男子)の××離れというのが顕著で、たとえば車離れになり月賦を払ってまで自分専用のクルマを買わなくなったとか。
そのほかにも「酒」「たばこ」「本」「マージャン」「恋愛」などが挙げられるという。こう並べるとその昔、青春時代にそこそこの思い入れのあったものばかりだ。
そういえば肩を組んで酒を飲むような機会も減ったとか、健康志向や社会の規制も影響してか喫煙者も激減している。学生街の麻雀店もほとんど消えて、あるとしてもぺんぺん草が生えるほどという。
そのほか「活字離れ」や「恋愛離れ」は、ページをめくるのが面倒だとか、恋愛も面倒で煩わしいと聞けば、本当にそうなのか耳を疑いたくなる。
そういう若者ばかりではないと思うが、情報はネットで十分だし、空腹を満たす即席麺などもいろいろあり、引きこもっていれば小遣いも不要という声も聞いた。
世界不況も大変だけれど、若者の思考が激変して、昔は夢中に憑かれていたものに見向きもしないとなれば、業者の消費傾向対策も大変だろうし、不況よりもっと厄介な社会現象かもしれない。Save0048

2009年1月18日 (日)

錯乱坊雑感 18-Jan 09

一言「ごめん」と謝れば済むことでも、素直にそうできない意地みたいなものが大きい事件の発端になることもある。数々の事件が起きる愛憎は、種類も深さも違う。
事後にあれこれ詮索してみたところで、次に起きるかも知れない事件の予防には何ら寄与しない。総て冷静沈着に判断できる人でも、瞬間の感情の状態がどうであるかを知るすべはない。
キレるという言葉も短絡過ぎるが、気短かで僅かなことに激昂する人も目につく。
先日も民主党の小沢さんは、記者団に「定額給付金の採決に途中退席したのはなぜか…」との質問に憤然として反論していた。この方はすぐに、ご自身の言葉を借りればプッツンする人のようで、案の定、翌日の新聞の見出しには「逆ギレ」などと書かれていた。
不都合なことを言われれば反論のひとつもしたいだろうけれど、公人で立場のある人なら、なるべく冷静に言う必要もあるだろうし、言い方も問題である。
語学が不足しているので微妙な言い回しはわからないが、感情を抑制したオバマさんの選挙演説は、多くの人を陶酔させるほど見事に見えた。
政治家ならずとも私人にあってもなるべく穏やかに、簡潔にして明瞭な言葉で話し、しっとりした優しさのある日々の対応であれと願うが、それほどの難題ではなさそうに思うのだが…。Photo

2009年1月17日 (土)

錯乱坊雑感 17-Jan 09

*写真は、石川県金沢の兼六公園内の琴柱灯篭。
野球のナイターと言えば知らない人はいない。しかし、この横文字は英語に非ず和製英語で、英語ではナイトゲームという。
日本人の中で通じればどうという問題ではないけれど、なじみの無い横文字で言われて英語の辞書にも出ていない和製英語を多用する政治家は怪しげだ。
一時期のことだったが、ホワイトカラー・エグゼンプションという法案を提出するつもりだったようだが、国民の賛成を得られないようだから提出を諦めたという。正確に理解すればわかるはなしだとは言うものの、深い説明の無いままでは誤解されるのも当然だが、新聞報道では簡単に残業代節約法案と書いてあった。
大筋ではそういう内容のものらしいがメリットもあることの説明も足りず、そもそもが、そういう趣旨のものは選挙に影響を与えるから提出を止めたというのが本心らしいとも報じられていた。
舌を噛みそうなホワイトカラー・エグゼンプションなんて関係の無いことをやっと覚えたが、どれだけの国民に関心があり、どれほどに理解が行き届いているかさっぱり判らない。
何度も記事になっているが、ワークシェアリングなども深く浸透しているとはいいがたい。
こういうときは石原知事がよく口にするアカンタビリティが必要と思うが、なぜ日本語で「政治家の説明責任」と言わないのか知らないが、それらは、今や知らないでは済まされない時代になってきた。Photo

2009年1月16日 (金)

錯乱坊雑感 16-Jan 09

グローバル社会というものの、人間は感情の動物である。同じ言葉でも、好きな人に言われたのと嫌いな人に言われたのでは、受け取る側の印象は大きく異なる場合も少なくない。
急進左派路線のベネズエラはチャベスという大統領は、一昨年再選され自国民には人気が高い。南米のいくつかの国やイランは、ことあるごとにアメリカと対立しており、特にブッシュさんのやり方を帝国主義の塊だと、チャベスさんも口を極めて批判していた。
ここのところ核開発を巡って対峙しているイランがベネズエラに接近して、米国による支配に対抗する手段を協議したという。イランやベネズエラは有数の石油産出国だから、その潤沢な資金で反米基金をつくり、アメリカと距離を置こうとする発展途上国の社会開発支援を目的とした支援金を二十億ドル(約二千四百億円)の規模で合意したとか。簡単に言えば、発展途上国に必要な資金を提供する代わりに、反米ネットワークを拡大しようという狙いだ。
対極的構図は変わらないとしても、米国大統領の交代と一連の金融危機は、なにがしかの転換点になる期待は生まれそうだ。
嫌いと言われれば余計に嫌いになり、ますます対立色は強くなりそうだが、名指しされたブッシュさんは退任して、来週にはいよいよオバマ大統領が誕生する。
それほどアメリカに好意を抱く者ではなくても、オバマ政権はどのように変革の道を歩むのか、北朝鮮やイランやベネズエラなどの反米国ばかりではなく、全世界は固唾を呑んで見守ることになりそう。365508

2009年1月15日 (木)

錯乱坊雑感 15-Jan 09

東京は、気候的にも恵まれ商業や政治の中心地だからこそ発展し易い。敢えてそう呼ぶことを避けているのか、日本の中心とは言わないまでも、一極集中は今も変わっていない。
住み易いのかと思うが、お台場やその近辺のベイエリアはマンションや商業ビルが林立して、二十年ほどで見違えるように発展した。
フジテレビの本社屋上の球体展望台から見える都会の景観は、写真で見たハドソン川のようにも思えて、気分に乗せられ観光に何度となく行った。
最初のうちはガラガラだったが、行くたびに客も増え混雑は、何事かと勘違いするほどでもある。人が多く集まれば、それに付随して商業が活気付き、二十年ほど前はなにもない殺風景な場所だったお台場は、今はほとんど毎日観光バスが列を成して大盛況である。
高い建物の展望台からの眺望は外国の景色を連想させて、口コミで評判が評判を呼ぶという好循環になっている。
今年の初日の出をテレコムセンターの最上階で見た人も多かったようで、早朝から凄い人混みだったと唸るが800人も入れたとか。Photo

2009年1月14日 (水)

錯乱坊雑感 14-Jan 09

  • 今年は久しぶりの豪雪かも知れないなどと、長期予報では話していた日本海側も、今のところ少なめでラクだという声もあったが、昨日あたりの寒波で大雪になった地域もあると今朝のニュースにあった。
    ときに予想外の寒波が押し寄せたり、寒波のわりには雪が少な目などと、冬模様もまだらである。
    豪雪を逆手に取って実施していた、青森の地吹雪ツアーが早々に中止にしたという話とか、横手のかまくら祭りという行事さえも、もう少しまとまって降らないと困るとか。
    雪がなければ生活面ではラクだと推察するが、観光客の当ては外れるという皮肉な現象だ。
    ニューヨークも暖冬のせいで冬物の衣類などが売れずに困り、商品価格はデフレ気味とも聞く。原油も値下がりして、喜ぶのかと思っていたら、百年に一度の金融危機だという別の要因のことが、はるかに大きく経済には打撃らしい。
    天候は人間に、有形無形に影響を与え、加えて、一気に押し寄せた世界的にも深刻な経済危機に右往左往している感がある。Photo

2009年1月13日 (火)

錯乱坊雑感 13-Jan 09

見かけは若そうに見える人でも、そこそこの年齢になれば健康面に不安が起きたり、そこまでの現象が出ていない人でも慎重な人は、石橋を叩く意味において「厄年」というものに気に掛けている人も少なくない。
取り立てて何もしていないという人でも、若い頃は感じたことのない変調があったりすると、原因が判然としない不安を抱き「厄年」というのが脳裏をかすめるようだ。
昔から聞いてはいたが、これだという歴然たる根拠は分らないながら還暦を過ぎたあたりから不調になり、おぼろげに私もそう思った。
災いが起きる可能性が高いとされる年齢が厄年という民間伝承のひとつで、一般的に数え年で男性は二十五歳と四十二歳。女性は十九歳と三十三歳。特に男性の四十二歳と女性の三十三歳は「大厄」として最も気をつけなければならない年齢とされ、その前後の年の「前厄」と「後厄」の三年間が要注意とされている。
ことさら頓着は無用かも知れないが、男性は40代前半、女性は30代前半、男女共に還暦が過ぎたらその時期が人生の曲がり角だから、車の運転のように曲がり角は直線よりも速度を落として通るのがイイ。
周回遅れのランナーのように、このところ不調にて徐行運転のような日々だが、加齢現象のひとつかと観念している。本当に悪ければ顕著に表れるのではないか、というぐらいのことかと思う。Photo

2009年1月12日 (月)

錯乱坊雑感 12-Jan 09

眩しいほどに、若い人のエネルギーは凄い。そう思うのも自分がそこそこ高齢になって、動きも気力も低下したために増幅して感じる。
さまざまに経験した知恵と体力があれば、あれもこれも実現しそうだと思うだけで、頭で考えることと体の動きにはギャップがある。若い時は闇雲に体力勝負で、今にして思えば軽挙妄動だったかと、ときに後悔もした。
自分のことで言えば、若い頃は知恵も足りず金も無かった。それでも愉しい日々だった。周囲からスタミナちゃんとあだ名されるほど、少々寝不足でも若さはそれを補って余りある。情熱的に仕事もしたが、とにかく寝る間も惜しんで遊び歩いた昔が懐かしい。
正月にはハワイへ行っていたと聞いていた知人の息子は、今日からカナダのバンクーバーへ仕事で行くとか。ハワイはバカンスだからとはいえ、三日間は接待というから疲れもあるだろうに、中三日は丸の内の会社に行き、一昨夜は午前様の帰還だと奥さんが嘆いていた。アイスホッケーで鍛えた体力はビクともしない様子だ。
若いうちだからと奥さんには慰めの言葉をかけたが、まぶしいほどに輝いて、今は何をしていても疲れなど微塵も感じていないのかと推察される。企業戦士は、ブルドーザーのように動き、とにかく凄い。Photo

2009年1月11日 (日)

錯乱坊雑感 11-Jan 09

テレビの旅番組を見ていたら、懐かしい伊豆爪木崎の映像が出ていた。
都会は半年もすれば背景がすぐに変わるが、場所によって田舎は何年か前に見た景色とほとんど変化がない。
こまかい路地までは画面にでることがないので知らないけれど、土地に住む人に聞くと、気にも留めていないが昔と大きく変わったのは道路だけだという。
関東で春を先取りするのは、南房総か南伊豆だが、新年の二週もすれば先んじて水仙が咲き、群生地にもなっていて、南伊豆の爪木崎は遊歩道から海を背にした風景は美しい。
子供のころに過ごした越前(福井)の岬にも早咲きの水仙群生地があるけれど、今の時期なら雪原を渡る風が冷たく、やはり日本海側の自然は伊豆とは比べものにならないくらい厳しい。
やはり、故郷は遠きにありて思うもの。帰る処にあるまじきか。軟弱な体の今はなおさら、冬から春への踊り場みたいな時季は見た目だけでも春の兆しを感じる景観が嬉しい。Photo

2009年1月10日 (土)

錯乱坊雑感 10-Jan 09

普段からダイエットに励んでおられる方が多いご時世なに、不思議なことにテレビ番組に大食いを競うものがいくつもあって、そういうものは見てもつまらないと思いつつ、ただなんとなく見てしまった。
自分は糖尿病の予備軍というわけで、医師から食事制限を申し渡されている。残念ながらカロリーを無視して食べるわけにはゆかない事情から、画面で見る料理番組などは羨ましく思う場面が無いわけではないが、大食いは苦痛に見え、あんな食べ方はもったいないなと思う。
年令と共に食べ物の嗜好が大きくかわり、今は肉を殆ど食べない。いっそのことBSEにかかって死んでもいいとは思うが、若い頃は大好きだったギトギトした油味を受付けなくなって久しい。
医師に言わせれば「肉も食べないとバランスは悪くなるから、週に一度くらいは食べなさいよ」と勧められた。太り気味だからカロリーの低いものをと思っていた矢先に、肉も食べろと言う一方で矛盾するように、ひょっとしたら貴方はメタボリック症候群かも知れないとの診断だった。
もうなんでもいいやと思いつつ、メタボリックは別に気にはならないけれど、食習慣を変えてから、どうにも肉に最近は食指が動かない。Ss

2009年1月 9日 (金)

錯乱坊雑感 9-Jan 09

のんびり過ごした三が日の気分が吹っ飛ぶほどの2009年の幕開け、世界経済は混沌の中にあり、昨年に引き続き解散もしないまま引き継がれ、五日に召集された通常国会も耳新しい展開はない。
為替相場もドル安が要因の円高になったまま、東証の大発会では、一足早く開かれたニューヨーク株高からの連想高で始まったが、翌日には株価急落に見舞われてスタートした。相変わらず、見事なまでにニューヨーク株と連動している。
株の上がり下がりなんて個人的にはどうでもよいことながら、日本経済の先行きにはかなりの不安材料ではあり、初っ端から朗報ではない。
一月は、ほとんどの頭に「初」をつけて、初日の出、初詣、初夢、初湯、初売り、初釜、初笑い、初場所…。新年にかぎらなければ、初節句、初鰹、初雪、初孫などなど。「初」は大切にされ、ありがたいこととして感謝される傾向がある。
旬の食べ物をいただく時は「初物」だと感激したり感謝したりするが、経験を重ねた年齢になると、最初のころのような衝撃が薄れるのはいかんともしがたい。
女子大生の知り合いの娘が、この正月に「初体験」をしてきたと言うので、最近の若い人はなんでもバラすのだと思いながら聞いていた。
「痛くはなかったの?」「全然イタクないわよ。五回もしちゃった」などというので、よく聞いてみたらバンジージャンプのことだとか。
セクハラになるのでこれ以上は書けないけれど、別のことを連想していたから、下手なことを口走っていれば、今年初の軽蔑をされるところだった。
2009

2009年1月 8日 (木)

錯乱坊雑感 8-Jan 09

年々歳々、歳末から新年にかけての一週間を格別の節目に切り替えられず、普段と変わらないなと思いつつ、本格的日常はいつの間にか始まっている。
昭和64年1月7日に昭和天皇が亡くなられて、そのことを崩御というのもその時知った。そして1月8日から「平成」と年号が変わることを時の官房長官の小渕さんが発表されて21年目の一月八日を迎えた。
なんとなくダラダラと過ごした自分に比べ、海外旅行で充分に充電してきたという知人もいれば、温泉へ行ってきたとかスキーに行ってきたとか、人はそれぞれだ。
仲間と一緒にハワイへ行ったのはよいが、今年はずっと天気が悪くゴルフもできずに、アラモアナ・ショッピングストァーに出かけたら、ほとんどが日本人でごった返し、まるで銀座にいるようだったという知人もいる。夜は夜で麻雀ばかりしていたようで、それならば伊豆の旅行でもよかったと反省していた。
自分も友人知人も、そこそこの年齢。とりあえず今年も健康が最大のテーマではある。
よそで何が起きようとも仕方が無いことだが、身近な知人に大きな災いの無い新年になるように、聞き届けてくださる霊験アラタカな神様の庇護に頼るしかない。Photo

2009年1月 7日 (水)

錯乱坊雑感 7-Jan 09

老いの一徹というのは、年を取ると頑固になるという面と、ひたすらとか一途という意味もある。裏を返せば、融通がきかないとか、柔軟性が無いという嘆きにも通じるわけで、この一徹が過ぎると老害などと言われることがあるから、それなりの年齢になった今は気をつけたい。

高齢化社会も統計によれば、後期高齢者(75才以上の人)は人口の一割を超えて、前期高齢者は昨年の統計によれば人口比14パーセントだとか。それより前の予備軍というような55才以上の括りでいえば32パーセントになるという。

労働現場においても、若者の比率が低く年齢分布がアンバランスの会社が多く、特に「ものづくり」の組織には後継者不足が著しいのだとか。折角の高い技術に跡継ぎが不在になり、当面は後期高齢者も離職できない事情があると聞いた。

資源を持たず、食料自給率も低い日本で技術力が低下するとなれば、前途は暗い。

労賃が安い雇用関係が不安定な派遣労働やニートを使う社会。ワーキングプァーなる状態を招いている政府の施策は間違っていないか。折角の労働力を正当に評価して活用することこそ、社会の活性化に寄与すると思うのだが…。Photo

2009年1月 6日 (火)

錯乱坊雑感 6-Jan 09

昨日は寒の入りということだったが、それほど寒い気温ではなかった。昨夜いくらか曇った程度で、本日は冬の快晴。ガラス越しの陽だまりは暖房も不要なほどに暖かい。
低気圧の発生という予報に、もしかしたら東京にも初雪があるかと思っていたらパラパラ雨だけ。山間部もさほどの降雪は無いとのこと。
明日で松の内も明けるが、暦の関係で昨日から平常だから、世間も実質的にすでに5日からの活動になった様だ。
昔の祝日は固定していたので暦を見なくても、一応の連休予定は五月だけだったが、マンデー休日法が制定されてからは分かりにくくなった。
初々しくて青臭いながらも熱気のあった「青年の主張」も、何時の間にか無くなった。あれはあれで良いところもあったのに、改悪か改善かは知らないが惜しい。
情報化社会は人間を早く成長させるのか、いまどきの青年は知識も豊富。時代遅れの私なんかはすぐにやりこめられ、生意気なヤツだと思わないではないが、青年は生意気なぐらいがいいのだとは昔から言う。
団塊ジュニアというのが青年に成り、すでにナナロク時代という1976年生まれの人達が中枢を担う時代の到来だ。
総理大臣が年下の人に代わり、にわかに、吾も老けたりと思ったものだが、その後、福田、麻生と二人も首相が交代した。Photo

2009年1月 5日 (月)

錯乱坊雑感 5-Jan 09

たいがいのサラリーマンは、今日から通常の仕事になり、改めてなにもかもが始まる。本日は二十四節気の小寒。
古書の易経によれば「九九消寒」というらしく、元日から八十一日が過ぎれば寒さも解消するという。

新展開があり、希望としては何がしでも飛躍があればと願うが、先ずはそこそこ健康でなければ満たされることは無い。

手紙やブログなども、私は知らず知らずのうちに使っているのに、先輩や知人から「そこそこ」とか「ほどほど」とか「まあまあ」という語句を読むと、ひょっとしたら君ではないかと連想したと指摘を受けた。

教えてもいない文章を読んで当ててくれたのだから、まあ、そこそこ喜ぶべきかと思ってはいる。

人間の癖とか特徴は自然に露見してしまうもの。隠す必要のあるこを記録したことはないからよいようなものだけれど、筆跡が全く現れないパソコンでも文脈で性格までバレてしまうもののようだ。

匿名だからといって適当な記述はできないことを自覚しつつ、心に感じるままを、今年も継続してこのブログも続けたい。陳腐ながらも継続は力成りを、ひとつぐらいは維持しなければ不甲斐ない。Photo

2009年1月 4日 (日)

錯乱坊雑感 4-Jan 09

*写真は、岐阜県白川郷の新雪風景。昔は一晩に1メートルほどの積雪も珍しくは無かったが、近年は雪も少なくなり、軒先に垂れるつららも、せいぜい50センチほどが関の山とか。在郷の人も温暖化を実感するという。
東京は引き続き晴天のまま、あっけなく三が日が過ぎて、今日だけは明日からの本格始動に備えて休んでいる人が多そうだ。

新年早々は何事も「初」であり、こころのけじめとして物事が始まる。

エコを考えながら生活しょうと思いつつ、どこかきちんと腰が座っていないので、いささかの後ろめたさを覚え、あれこれムダを重ねて「言うは易しなすは難し」の自己矛盾に思い当たる。

来客があり、ろくに見てもいないのに箱根駅伝のテレビはつけっ放しでいたし、折角持参してくれた食べ物もかなり残した。これではゴア元副大統領のいう不都合な真実になってしまうなと、自分が叫び共鳴するほどのエコ生活には遠い生活になりそうだ。

初笑いというのをどこの局でもやっており、それほど見たくないのなら止めて置けばよいものを、やはり見た。
「初」でもないのに、笑うカドには福来るになればと、それらも見てみるかとチャンネルを合わせたが、面白くもないのでMXテレビでニュー・イヤー・コンサートを視聴した。ベルリン・フィル・ハーモニーオーケストラのものでヨハン・シュトラウスの特集だが、1994年の録画だったらしい。普段は聴かないものだけに新鮮味はあったが、節電のことは忘れて11時まで~♪Photo

2009年1月 3日 (土)

錯乱坊雑感 3-Jan 09

今日も東京は澄み切った青空になり、快晴の三が日になった。
車の往来が少なくなった分だけ空気が汚れないという因果関係は明白で、天候としても申し分の無い晴天。

これほど好天に恵まれたのは久しぶりとのことだが、箱根駅伝の往路は意外にも東洋大学が制した。
よもやの展開で、東洋大学のアンカーは一年生の柏原という選手だったが、脅威の箱根山の昇りをスイスイ走り、不可能と思える四分以上の遅れを挽回して逆転優勝というのは、またひとつ伝説になりそうだ。

明後日からは仕事はじめのところもあるようだが、暦の並びから来週の五日(月曜日)から本格始動になりそうである。

大晦日から新年にかけ強い寒波がきて、日本海側や北海道は大雪になった模様だが、この時期の特徴とおり、西高東低の気圧配置は太平洋側には晴天をもたらす。

2009年1月 2日 (金)

錯乱坊雑感 2-Jan 09

今日も東京は、雪国の方々には申し訳ない思いもする、申し分の無い穏やかな快晴。めでたくもありめでたくもなし、冥土の旅の一里塚という正月。
身障のため物理的にフットワークの悪いことを理由に、元日は年に一度、私の所へ親戚一同が寄り合う。儀式のようにそのことが二十五年慣例となって続いている。
来てくれることは有難いことと感謝しなくてはならないが、多いときは15人にもなって、食料はそれぞれが持ち寄り、いわゆる一般的にいう「おせち料理」を食べ飽きたのと、私に糖尿病の気配があり、この三年ほどは食べ物持参は無用と通達した。
正月といえばいろいろな文化風習があるけれど、最近、毎年のようにごちゃごちゃいわれるのが「おせち料理を作らない家庭」のことが問題とという声も聞く。曰く、おせちは伝統文化なので、作らない家庭は嘆かわしいだとか、デパートで買うのは母親から伝えられた家庭の味が伝わらない云々。
いまさら伝統文化を云々するよりも、合理的に専門家が作ったものを必要な分だけ買って適当に食べればよいだけのものと…
そもそもが、みんなが一斉に休んでいたころの苦肉の策だったわけで、母の味といっても、二日も三日も続けて食べればおせち料理をうまいものとは思えなかった。ただ少し、懐かしさだけがある。

恒例の新春スポーツスペッシャル番組の大学対抗箱根駅伝を見ている。
日大のダニエル選手が20人のゴボウ抜きをして見せた。 Photo

2009年1月 1日 (木)

錯乱坊雑感 1-Jan 09

まずは穏やかな天候の元日。めずらしく早起きして、テレビ中継で富士山上空からの初日の出を見た。6時48分から昇りはじめ2分ほどでご来光の完成。気持の良い夜明けだった。
丑年だからどうだというような、一種の占いのようなものをテレビでやっていたけれど、当たるかどうか定かな根拠はない。
近年は「あのトヨタでさえも…」と評されるように、優良企業でさえ赤字経営という時期ゆえ、どの仕事も容易ではないらしいが、牧場を経営している人たちもラクではないとのこと。それでもなんとか「地産地消」を訴え乗り切りたいと、その他の夢もいくつか語っていた。

どこにそういう示唆があり励みになるのか一瞬分からないが、高村光太郎の「牛」という詩の一説を小屋に貼り、自らをはげましているのだとか。
<牛はのろのろと歩く 牛は大地をふみしめて歩く 牛は平凡な大地を歩く>
じっくり読んで見ると、味わいのあるいい詩だ。
急いてはコトをし損じるという戒めもある。私憤ではない公憤であろうと、狂馬は奔馬の如し。怒りて我を忘れるなかれ。
先般「そういうことを言ってるんじゃないのよ」と、ヒステリックに噛み付いてきた。かわいい性格だった麻布のNちゃんも、更年期のせいかこのごろ苛立ちを隠さない様になった。教えてやろうか、やっぱり止めておくか…。
暗いところから出てきた鈍牛のように、ゆっくり、敢えて波風を立てず穏やかに、平凡に踏みしめて過ごそう。Photo

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ
フォト